素人ソフィストの脳内

考え事、たまに趣味

仕事論 前編

どうも、素人ソフィストです。
今回はですね、私の仕事論を語ってみたいなと思っております。

まず、最近大学のゼミで福沢諭吉について調べて発表したのですが、そのときに福沢諭吉著作集を中心とした文献をいくつか調査しました。論文も幾つか調べたのですがその際に使ったのがjstageです。学生の読者がいたら(私も学生ですが)jstageやcinii、google scholarといったサイトで論文を探して引用や参照すると課題の内容が深まりますのでオススメです。

話を戻しますが天は人の上に人を作らずで有名な学問のすすめで次のような記述がありました。

人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。
唯学問を勤て物事をよく知る者は貴人となり、
無学なる者は貧人となり下人となるなり。
福沢諭吉著作集 第3巻』6~7頁より引用

つまり福沢諭吉は生まれながらにして身分の差はないがその後の学問や商売で人の貧富が決まると述べているのである。正しいと感じる方も多くいらっしゃるかもしれませんが、私はそうは思いません。私は頭のよさや職業の難易度が人間を決めるとは思わないのです。確かに頭のいい人とかで稼いでいる人はすごいと思いますが、ただ人間や仕事をそれだけで判断できないはずです。頭がよくて金持ちだけど犯罪を犯したり、人を傷つけたりする人を貴人と言えるでしょうか。

そして本題はこの仕事についてです。仕事には稼げるもの、稼げないものがあります。医者とかは命を扱うわけだし特に責任も大きいことでしょう。しかし、どの仕事も人間を支えていることには間違いありません。医者だけで世の中成り立ちますか。衣食住はどうしますか。また衣食住を作る人はもちろんですが、それを売る人も必要でしょう。風俗だって例外もあるかもしれませんが、客の心を満たしている素晴らしい仕事だと感じます。つまり様々な財やサービスを生産し分配する者がいてこそ世の中成り立っていると思います。

繰り返しになりますが、責任や動くお金、対象となる人の多少はあっても人の役に立っていることに変わりはないのではないでしょうか。ただ、仕事の種類は問わずとも仕事への態度に人間の差は出ると思います。業種より仕事への取り組み方が重要という考えについては次回語らせて頂きます。次回がどちらかというと本題という感じかもしれません。ではまた。

追記
最近人の相談に乗ってみたいなと思うことがあります。下ネタでも下らない悩みでもあっさり返すかもしれませんがなんか相談募集してみようかなと。もしよければコメントしてくださると嬉しいです。