素人ソフィストの脳内

考え事、たまに趣味

死後の世界をこう信じたい

「人って死んだらどうなるのだろうか」

私は前々から疑問に思っていた。私の中では3通りの答えがある。1つ目は死んだ後は無であるという考え、2つ目は極楽浄土のような別世界に行くという考え、最後は違う生き物に生まれ変わるという考えである。

友人の鋭楽はここがゲームのような世界であり、死はすなわちエンディングなので終わればプレイヤーの世界に戻るという考えを幼い頃に持っていたという。たとえるなら昨年上映された「ドラゴンクエスト your story」のような結末である。詳細はビデオ屋かどこかでレンタルして確かめてほしい。確かに興味深いがもしそれが本当だったとしたら我々は何も知らず見ず知らずの誰かに操作されているということであり、少しぞっとする。ちなみにもう一人の友人の待静には適当に受け流され、そこそこ真剣に話していた私は少々苛立ちを感じた。

ところで私は3つの中で2番目を信じたいと思うようになった。まず、1番目の無は想像できないため、あまり信じていない。そして3番目の転生は最近の自分の生活が充実しているように感じ始めたため、信じたくない。確かに自分より優れた人や容姿がいい人、恵まれている人はいくらでもいるし、そういう人に生まれ変わりたいと思うこともある。でも今のままでも十分恵まれているし、楽しいしこのアイデンティティーのままでいたいと思える。そう思えるようになった理由は目標を見つけ、それを達成するための努力に有意義なものを見いだしているからではないだろうか。

そして別世界を信じたい何よりもの理由がうちの愛犬の絹氏である。前回確実に年を取りつつある絹氏への想いを書いたのでそちらも目を通してくださるとありがたい。そこで書いたこととは反対に現実はいくら望んでもいつかは絹氏もこの世を去る。もし、1番目と3番目の死後の世界を信じてしまったら永遠に絹氏に会えなくなる。そうなれば絹氏がいない世界で私は真っ直ぐ生きていけない。2番目の別世界を信じれば絹氏に数十年待てば会えるかもしれない。もし、私も亡くなった後に別世界に行けて絹氏に会えたら、永遠の時を一緒に旅したい。絹氏を連れて色々な人と話をして永い時を過ごしたい。そう信じて心の準備をしようと思う。

追記
記事で書くことは一部実際のことをアレンジしているのですが、最近充実し始めたのは本当のことであり、やはり目標を見つけてそのために行動すると満たされるんですよね。他人と比較するのではなく自分なりの目標を達成していく人生にしたいと思っております。